原作とは違う結末
昨日の日記に関連して。
というか、昨日のが今回のを書くための伏線だったりします(ぇ
「アニメと原作は別物」という話を昨日しましたが、それを体現するようにアニメの最終回が原作とは異なるものが多くあります。
下はその一例。
魔方陣グルグル :アニメ(毎週)が原作(月刊)を追い越してオリジナル(1期)
まもって守護月天:シャオが恋愛感情に気づく
スターオーシャン:漫画通りでゲームのDISK1までのシナリオ(曖昧)
スパイラル :カノン戦でむりやり終了。ブレチルの謎もそのまま
…明らかに出版社偏ってるのは仕様です(笑)
まあ、前菜みたいなものなのであまり気にしない方向で。
むしろ話題にしたいのはこっち。
SMガールズ セイバーマリオネットJ〈12〉愛・乙女 (富士見ファンタジア文庫)
- 作者: あかほりさとる,ことぶきつかさ
- 出版社/メーカー: 富士見書房
- 発売日: 1999/07
- メディア: 文庫
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当時『スレイヤーズ』といろいろなものを二分した(と私は勝手に思っている)、セイバーマリオネットJ(toX)。
この作品もある意味上の『グルグル』と同じで、原作である小説の前にアニメが完結したわけですが、この作品の面白いところは原作とアニメで「過去」と「未来」の設定を違うものにした点だと思います。
「過去」については、アニメ版が家康たちよりも先にヘスがテラツーに辿り着いた設定なのに対し、小説版ではヘス=オリジナルファウストという、人物自体の変更がされています。
これはJからJtoXにかけて、アニメ版のクローンファウストの人格の問題が絡んだからじゃないかと考えていますが、もともとそうする前提で作者から設定がつけられていたという話もあります。
そして「未来」。
アニメでは人間として生まれ変わるライム達ですが、小説では最後まで機械の体を貫き通します。
これもあかほりさとる氏の「エゴで始まったものをエゴで引っ込めるのは違う」(←うろ覚え)という考え方に基づくものですが、私はどちらの考え方も大切で素敵なことだと思います。
この作品においては、ラストどころか話の根底が異なるにもかかわらず、ひとつのシリーズとしてしっかり成り立っている良い例だと考えてます。
それにしても、最近のラノベって大概どこか似たようなエロで惹こうとしている感が否めないのですが、当時これを読んでえっちぃと感じたのは同時期の作品に類似したシチュエーションが少なかったからなのかしら?
でも『スレイヤーズ』や『ロストユニバース』なんかにも似たようなとこあった気がするんだけど。